初めてマイクを持った日から・・・25年前の仕事って?

yoshiko

2010年03月22日 22:22

私のプロフィールに、今まで「初めてマイクを持った日から23年・・・」と記していました。

ついこのあいだ、「初めてマイクを持った日から20年・・・・」を、いつまで経っても20年では、年齢詐称になると思い、「・・・23年・・・」に変えたばかりなのに、気がつけば、2年もサバを読んでいて、もう「25年」経ってました

昭和60年に、心斎橋のパチンコ店に設置された本格的なDJブースで初めて自分の番組を持ち、マイクを握りました。
当時、「パチンコDJ」がブームで、イレブンPMにも取り上げられ、事務所でのレッスン風景がOAされたこともありました。

ラジオ大阪の中継車で、大阪各地を回り、「○○に居る、ビビンバさ~~~ん」とスタジオから呼ばれると、もう一人のタレント、ちあきちゃんと一緒に、「は~い、○○のビビンバで~~~す」と中継したり、泉佐野のほうのサウナにあるカラオケホールで司会したり、新人漫才コンビ「ビビンバ&クッパ」として、大阪、兵庫、岡山、広島のカネボウ化粧品のワゴンセールにゲストで出たり・・・。
帰りの新幹線代としてもらったお金を浮かそうと、普通電車で大阪まで帰ったこともありました。
今の新人のお笑い芸人さんとは違い、テレビに出ることもなく、ほんとに、貧しいタレント生活を送ってたように記憶しています。
今となっては、懐かしいような、あまり思い出したくないような思い出です

あれから、25年
四半世紀前ですよ

初めて一人で「営業」行ったパチンコDJの山口県防府市では、緊張のあまり「知恵熱」を出してしまい、救急で点滴をしてもらい、翌日、大阪へ「強制送還」されたこともありました。

また、若干20歳で、美容師時代の先輩の結婚式の司会をさせていただいたこともありました。


25年も前のことが、ついこの間のことのように感じますが、明らかに、当時の私の「ネタ帳」にスクラップしてある新聞は、昭和60年と記されてました。

「男女雇用機会均等・・・・」といわれ始めたのもこの頃、カーペットの髪の毛をとる「コロコロ」が出始めたのもこの頃。レコードからCDに変りかけたのもこの頃。エイズの問題が深刻になってきたのもこの頃。

ちなみに、当時のシングルレコードヒットチャートおよびリクエストが多かったのは、岩崎良美さんの「タッチ」や菊池桃子さんの「BOYのテーマ」、「サイレンスがいっぱい」、チェッカーズの歌などがいつも上位でした。

スポーツ新聞や週刊誌の切り抜きなどからの、毎日毎日のネタを集め、今みると面白いですね。

また、しがないタレント時代のことも、暴露しますわ。


ということで、プロフィールの司会暦の年月を変更しました


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