実は先月、7月7日、七夕の日に母が倒れ、左半身打撲とあばら骨の骨折をし、自分で起き上がることも歩くこともできなくなったのですが、あばら骨の骨折は入院治療の必要がないらしく、以来、実家に泊まりこんで母の看病と介護をさせてもらっていました。
でも、今回の打撲と骨折は2次的なもので、そもそもの原因は時折起きる心房細動の不整脈により、気を失って転倒したことでした。
今ようやく、その不整脈の治療のため、大学病院に入院させていただいています。
これまで、地元の病院では「●●さんの不整脈は大丈夫なやつやで、これで死ぬことはないから」で済まされていました。
なので、ホント、ようやく・・・です。
その日、気を失っていたのは、6秒ほどのことだったようですが、ちょうどそのとき、たまたま知人が母のところを訪ねてくれて、「アカン、病院行こう!」と言って、地元の病院に救急で連れて行ってくださいました。
そこから母が自分で電話をしてきて、「実は今、●●さんに連れてきてもらって、●●病院に来てる。大丈夫やから心配せんとき」と・・・。
心配せんとき言うても、他人さんに連れてきてもらってるのに、大丈夫なわけがありません。
すぐさまかけつけたら、頭のCTなどを撮ってもらったところでした。
その●●さんは、お義母さんの介護の経験があり、本当にテキパキと母を車いすに乗せて病院内をアチコチ検査などに連れてくださり、その人がいなかったら、母ひとりでどうなっていただろうと思います。
「なんか、車がこっち向いて走っててん」と、偶然のことだったかもしれませんが、本当にその人が訪ねてくださったことに感謝です。
でも、前述のように「今のレントゲンでは、はっきっりと骨折がどうかわからないが、もし、あばら骨が折れていても、何も治療することがないので、入院できません」と整形の医師から言われ、内科の先生からは「今は不整脈もおさまってるから、もし、入院しても、何のために入院してるんやろ~ということにもなりかねんから、家に帰ってもいいですよ」とのこと。
私も、「先生が言わはるんなら、大丈夫なんやろう」と、母の家に一緒に帰ったものの、とてもじゃないけど、母が一人で起き上がることも、立つこともできません。
その場に居合わせてくれた●●さんと一緒に、非常用(災害時用)のポータブルトイレをセットしたり、看ててもらって必要なものを買いに行ったり、3時ごろまでかかって、ようやく周囲を整えることができ、落ち着きました。
でもその日は、私は七夕祭りの司会を引き受けていました。
母の枕元に、喉をつめないぐらいの小さいオニギリとお茶を用意し、「寝ながらでもいいから、食べておいてな」と、会場に向かいました。
七夕まつりのフィナーレは「手筒花火」。
「わっしょい!」と掛け声を言うものの、母のことが心配で、ただただ無事故で手筒花火が終わることだけを考えていました。
急いで帰ると、母が必死に痛みに耐えていました。
いわゆる「日にち薬」と言われるように、我慢するしかありません。
ポータブルに移るときも、まずは私の肩につかまってもらって身体を起こし、それから両脇を抱えてポータブルトイレに座らせ、下着の上げ下ろしも、またベッドに横になるのも、一人では全く無理でした。
でも、食事にはこだわりのある母ですので、やっぱり、ちゃんと食卓について、タジン鍋で蒸した野菜、お肉、十六穀米の入ったご飯、ぬか漬けetc・・・を食べないと気が済みません。
いくら痛くても、私に抱きかかえられながらテーブルのところまで行き、しっかり食べてくれていました。
ベッドは普通のパイプベッドだし、ポータブルトイレといっても非常用の段ボールを組み立てるやつで、手すりもないし、本人も痛みに耐えないといけないし、私も足も腰も肩も痛くなってくるし、そんな状態での介護が、土曜、日曜、月曜と続き、母も私もすっかり疲れてしまいました。
そこで、ふと、友人のお義父さんの介護生活のことを思い出しました。
残念ながら自宅で過ごされるのは短かったのですが、その間、介護ベッドを借りて家族で看ていたとのこと。
月曜日の朝、市の高齢者福祉の担当課に電話をして「こうこうこういう状態なのですが、介護ベッドは借りられるのですか?」と尋ねてみました。
すると、「明日(火曜日)に診てもらった結果によって、すぐに業者さんに持ってきてもらえるように手配しておきます」とのことで、とても親切・丁寧に対応してくださいました。
そして、10日(火曜日)に再度受診した結果、やはり肋骨が2本折れていたことが判明しました。
母は、「普段から私は一人暮らしで、娘も(私のこと)家庭があるし、仕事もあるので、私の世話をしてもらうのが本当に大変だから、入院させてほしい」と哀願しました。
でも、やっぱり「入院治療はできません」と言われたので、すぐに市の担当の方に連絡をしたら、なんと、病院から帰ってきた30分後に業者さんと一緒に介護ベッドと手すりのついたポータブルトイレを持ってきてくださり、しばらく続くであろう介護生活の第1歩を助けてくださいました。
「介護される側・介護する側の気持ち」を本当によくわかってくださってて、その素早い対応に涙がでました。
それからです。
ベッドの背を起こし、上体も起こしてからベッドの手すりにつかまり、自分で身体を起こして支え、ゆっくり立てるようになったのは・・・。
そして、次の日には、すぐ近くに置いたポータブルにも自分で移れるようにもなりました。
「介護ベッド」は、「介護」のためだけではなく「自立」を助けるものだということを実感しました。
まだ自分で歩くことはできませんでしたし、もちろん、食事の支度などもできませんでしたが、そのベッドが来てからというもの、母も私も、ずいぶん楽になりました。
きっと迅速な対応をしてくださった包括支援センターの職員さんの心遣いが、私たちの気持ちを楽にさせてくださったのかもしれません。
それから、約1か月。
結婚して実家を出て、娘を出産した後に実家で過ごした時以来、22年ぶりに実家で母と過ごしたわけですが、いろいろ大変でだったものの、私にとっては母と過ごす時間が嬉しかったですし、同時に母の偉大さがよくわかりました。
かつて中華料理店を営んでいたところに住まいもありますので、普通のお家とは違って、段差は多いは、間仕切りは多いは、身体が不自由になると本当にバリアになるものがいっぱい。
元気な私でさえ、上がり降りが面倒に思えますし、足腰が痛いと感じます。
窓を開けたり閉めたりするのも、あっちの窓、こっちの窓と家中をアチコチしないといけません。
食事の支度は、かつての厨房ですので、いちいち靴を履いて下りなければいけません。
一人暮らしの高齢の母が、これだけのことをやってきてたんだ・・・と、「劇的ビフォーアフター」に出したいと思ったぐらいでした。
そして、心配して母を見舞ってくださる人が次から次に来られ、母の様子をうかがうよりも、自分のことや悩みを母に聞いてもらって帰られるという、ありがたいような、正直ちょっと気が休まらないような、そんな1か月でした。
7月7日の朝、不整脈が元に戻ろうとした際に気を失って転倒。
7月10日、再受診。骨折が判明。
7月26日、いつものドクターに診てもらうが、大学病院での受診を勧められる。
8月8日、いろいろな検査の結果を見て、紹介状を書いてもらい、大学病院での診察を予約してもらう。
8月16日、循環器科の教授に診ていただく。
このとき初めて、気を失っていた6秒ほどの間、実は心臓が止まってた状態だったということを知りました。
(これまで何度も地元の病院の主治医に言ってたのに~)
そして、母の不整脈の明確なデータをとったうえで、カテーテルアブレーションによる治療よりも、ペースメーカーを入れるほうが効果があるとのことで、「四六時中モニターで心電図を監視するのに、暑い時だし、病院もきれいになったし、一人暮らしのお母さんのことを娘さんも心配だろうから、一日も早く入院しましょう」と、神様か仏様かのような言葉を言っていただき、教授自ら、病棟にベッドの空きを確認してくださいました。
8月17日、ペースメーカーを入れる手術にむけて、検査ののための入院。
でも、先生が確実な証拠を得たいとおっしゃる不整脈がいつ起こるかわかりません。1か月に2回ほどあった発作もこの1か月は何もなかったし、このまま、不整脈が起こらなかったらどうなるんやろ~。出るまで待つのかな~。それやったら長引くな~と思っていました。
8月18日、朝、隣のベッドのおばあさんが夜中に何度も「痰」を出す音で寝られなかったと母からメールが来て、「逆に、睡眠不足が引き金になって不整脈起こるかもしれんやん。そうなったら、早く確実なデータとってもらえるやん」と、やりとりをしていたら、しばらく返信がなく、30分ほど経った次の返信に「やっぱり来たわ。今、心電図とってもらった」とメールが来ました。
大学病院の教授や主治医の先生が欲しかった確実なデータがとれる不整脈が入院2日目に起こり、そして、
8月19日、早朝、不整脈がおさまるときに起きる「めまい」のような症状が出て、それもしっかりモニターで監視・記録されていて、心臓が数秒間止まっていることなどが目で見てわかるデータがとれました。
そろそろ発作も起こる頃だったのもあるかと思いますが、こんなに早く目的のものが現われるなんて、ホントに奇跡のよう。
このまま順調に手術も早めにできればいいのですが、母自身も、今回、大学病院に来て初めて自分の心臓の状態をちゃんと説明してもらえて、納得して、ドクターや看護師さんに、すごくよくしてもらって、ホントに感謝しています。
何年か前にも、今回のように気を失ったことがあり、それからも「めまい」のようなものがあったのですが、そのときも「老人にはよくあることだ」で済まされていて、こんなことなら、もっと早く、こちらからハッキリとセカンドオピニオンを受けたいので、紹介状を書いてくださいと言って、大学病院に連れてきてあげていればよかったと、後悔しています。
でも、何より、患者やその家族の気持ちに寄り添った言葉をかけてもらい、高齢者だからとあきらめたような言葉ではなく、丁寧に扱って看ていただいていことが、母にとっては一番嬉しいのだと思います。
手術の日がいつになるかまだ決まっていませんが、一日も早く、今まで以上に元気になってもらえたら私も嬉しいです。
退院したら、まず焼き肉を食べに行って、それからしばらくしたらアカスリに行く予定です。
長々たらたらと、7月からのことを思い返しながら書きました。
母には不思議な力があります。
心が折れそうになったとき、迷ったとき、嬉しかったとき、気分が悪いとき、どんなときも受け止めてくれるだけの温かい強い心があります。
それは、どのお母さんにも。
私も、そろそろそんな年齢かもしれません。
あと、わずか17年で母は100歳。
そのとき私は64歳。
まだまだこれからですね。
また、海外旅行も一緒にいきたいな。
病院との往復もまだまだこれからです・・・。