
2012年12月25日
激動の2012年後半・・・。ダンありがとう。
前回の更新から、ずいぶん日が経ってしまってました(^^;
あれから・・・・。
もうだいぶ母の具合も良くなってきたので、そろそろ実家の荷物をまとめて自宅に帰ろうと思いながら、いろいろ心配なこともあり、次の診察が終わるまで、次の診察が終わるまで・・・・と、だんだん延び延びになっていました。
確か、前に更新した日が自宅に戻った日なので、約3か月、帰ってなかったことになります。(服をとりに来たり、ちょこちょこ帰ってはいたのですが)
2012年は、夏から本当に激動の半年でした。
7月には、幼いころからの親友の嫁ぎ先のお義父さんが亡くなりました。
そして、その次の日に母が倒れ、8月にはペースメーカー植え込み手術をしました。
9月には、実家(お店)の2階で下着のサロンをしていて、いつも母の様子をうかがってくれていた方が亡くなりました。
そして、11月には、父方のおばあちゃんが亡くなり、次男の嫁になる母を連れて四日市まで泊りがけで行きました。
そして、同じ日に旦那の伯父さんのおばあさんが亡くなり、親元の長男の嫁としてお手伝いに行きました。
そして、その直後に母が、「血尿が出る」ということで救急で病院に連れていったところ、腎臓結石が見つかりました。
2晩、しんどい思いをして片方の腎臓の石は出たようですが、もう片方の腎臓から出ている尿管にまだ石があるとのことでした。
いつまた石が動くかもしれませんし、「血尿が出る」と電話があったときには、一瞬、「え?また続くのだろうか?」と青ざめました。
仕事しながら、母の介護認定や福祉サービスの申請、福祉用具の取り付け工事などの自立支援のための手続等で何度も業者さんと話し、介護福祉士さんやヘルパーさんたちと相談したり、契約したり、市役所行ったりということが何回もありました。
病院の診察もあります。
幸い、仕事の時間外勤務や休日出勤分がたくさん溜まっていたので、それらを全部、時間休や代休にして、それらに充てています。
まずは「人の死」について、何回も考えさせられる機会がありました。
反対に、新しい命の誕生もありました。
ブラジル人の友達の孫が11月に生まれ、下旬にはお義姉さんの孫も生まれました。
そこへ、本業である国際交流の事業。
そして、副業の餃子のこと。
イベントでの出店も夏から3つもあり、結構大変で、12月に岐阜で出店したときには、元気になりつつある母にも座ってできることは手伝ってもらいました。
こんなバタバタの生活が半年続いていたのですが、22日におばあちゃんの四十九日の法要あるので、それを一つのキリにして帰ろうと思った矢先、土山に向かうときに、自宅にいる娘から電話があり、「ダン(愛犬)死によった・・・」と。
ここ最近かなり弱ってきていて、オムツをしていたダンでしたが、前の日もちゃんとエサだけは食べてたというのに、12月22日の朝方、だれにも最期を見せずにトイレの前で息絶えていたとのことでした。
土山に向かう時で、母を連れていかないといけないので、自宅に戻ることもできず、お昼すぎに法要が終わったら帰るから家の畑に埋めるのは私が帰るまで待って・・・と言ったにもかかわらず、もうお昼前に旦那と娘によって手厚く葬られました。
ヨタヨタと歩く姿が、頭から離れません。
最期、どこか痛かったのかなあ? 何を言いたかったのかなあ?
一人っ子の娘が7歳のときに家にやってきたダン。
優しい、おとなしい、オッサン顔の黒ラブでした。

2012年最後に、大事な大事な家族が亡くなりました。15歳と7か月でした。
ダンちゃん、楽しい思い出と癒しをありがとう・・・・・・・。
あれから・・・・。
もうだいぶ母の具合も良くなってきたので、そろそろ実家の荷物をまとめて自宅に帰ろうと思いながら、いろいろ心配なこともあり、次の診察が終わるまで、次の診察が終わるまで・・・・と、だんだん延び延びになっていました。
確か、前に更新した日が自宅に戻った日なので、約3か月、帰ってなかったことになります。(服をとりに来たり、ちょこちょこ帰ってはいたのですが)
2012年は、夏から本当に激動の半年でした。
7月には、幼いころからの親友の嫁ぎ先のお義父さんが亡くなりました。
そして、その次の日に母が倒れ、8月にはペースメーカー植え込み手術をしました。
9月には、実家(お店)の2階で下着のサロンをしていて、いつも母の様子をうかがってくれていた方が亡くなりました。
そして、11月には、父方のおばあちゃんが亡くなり、次男の嫁になる母を連れて四日市まで泊りがけで行きました。
そして、同じ日に旦那の伯父さんのおばあさんが亡くなり、親元の長男の嫁としてお手伝いに行きました。
そして、その直後に母が、「血尿が出る」ということで救急で病院に連れていったところ、腎臓結石が見つかりました。
2晩、しんどい思いをして片方の腎臓の石は出たようですが、もう片方の腎臓から出ている尿管にまだ石があるとのことでした。
いつまた石が動くかもしれませんし、「血尿が出る」と電話があったときには、一瞬、「え?また続くのだろうか?」と青ざめました。
仕事しながら、母の介護認定や福祉サービスの申請、福祉用具の取り付け工事などの自立支援のための手続等で何度も業者さんと話し、介護福祉士さんやヘルパーさんたちと相談したり、契約したり、市役所行ったりということが何回もありました。
病院の診察もあります。
幸い、仕事の時間外勤務や休日出勤分がたくさん溜まっていたので、それらを全部、時間休や代休にして、それらに充てています。
まずは「人の死」について、何回も考えさせられる機会がありました。
反対に、新しい命の誕生もありました。
ブラジル人の友達の孫が11月に生まれ、下旬にはお義姉さんの孫も生まれました。
そこへ、本業である国際交流の事業。
そして、副業の餃子のこと。
イベントでの出店も夏から3つもあり、結構大変で、12月に岐阜で出店したときには、元気になりつつある母にも座ってできることは手伝ってもらいました。
こんなバタバタの生活が半年続いていたのですが、22日におばあちゃんの四十九日の法要あるので、それを一つのキリにして帰ろうと思った矢先、土山に向かうときに、自宅にいる娘から電話があり、「ダン(愛犬)死によった・・・」と。
ここ最近かなり弱ってきていて、オムツをしていたダンでしたが、前の日もちゃんとエサだけは食べてたというのに、12月22日の朝方、だれにも最期を見せずにトイレの前で息絶えていたとのことでした。
土山に向かう時で、母を連れていかないといけないので、自宅に戻ることもできず、お昼すぎに法要が終わったら帰るから家の畑に埋めるのは私が帰るまで待って・・・と言ったにもかかわらず、もうお昼前に旦那と娘によって手厚く葬られました。
ヨタヨタと歩く姿が、頭から離れません。
最期、どこか痛かったのかなあ? 何を言いたかったのかなあ?
一人っ子の娘が7歳のときに家にやってきたダン。
優しい、おとなしい、オッサン顔の黒ラブでした。

2012年最後に、大事な大事な家族が亡くなりました。15歳と7か月でした。
ダンちゃん、楽しい思い出と癒しをありがとう・・・・・・・。
2012年08月20日
偉大な母は医大に入院中!? 7月7日からのこと。
実は先月、7月7日、七夕の日に母が倒れ、左半身打撲とあばら骨の骨折をし、自分で起き上がることも歩くこともできなくなったのですが、あばら骨の骨折は入院治療の必要がないらしく、以来、実家に泊まりこんで母の看病と介護をさせてもらっていました。
でも、今回の打撲と骨折は2次的なもので、そもそもの原因は時折起きる心房細動の不整脈により、気を失って転倒したことでした。
今ようやく、その不整脈の治療のため、大学病院に入院させていただいています。
これまで、地元の病院では「●●さんの不整脈は大丈夫なやつやで、これで死ぬことはないから」で済まされていました。
なので、ホント、ようやく・・・です。
その日、気を失っていたのは、6秒ほどのことだったようですが、ちょうどそのとき、たまたま知人が母のところを訪ねてくれて、「アカン、病院行こう!」と言って、地元の病院に救急で連れて行ってくださいました。
そこから母が自分で電話をしてきて、「実は今、●●さんに連れてきてもらって、●●病院に来てる。大丈夫やから心配せんとき」と・・・。
心配せんとき言うても、他人さんに連れてきてもらってるのに、大丈夫なわけがありません。
すぐさまかけつけたら、頭のCTなどを撮ってもらったところでした。
その●●さんは、お義母さんの介護の経験があり、本当にテキパキと母を車いすに乗せて病院内をアチコチ検査などに連れてくださり、その人がいなかったら、母ひとりでどうなっていただろうと思います。
「なんか、車がこっち向いて走っててん」と、偶然のことだったかもしれませんが、本当にその人が訪ねてくださったことに感謝です。
でも、前述のように「今のレントゲンでは、はっきっりと骨折がどうかわからないが、もし、あばら骨が折れていても、何も治療することがないので、入院できません」と整形の医師から言われ、内科の先生からは「今は不整脈もおさまってるから、もし、入院しても、何のために入院してるんやろ~ということにもなりかねんから、家に帰ってもいいですよ」とのこと。
私も、「先生が言わはるんなら、大丈夫なんやろう」と、母の家に一緒に帰ったものの、とてもじゃないけど、母が一人で起き上がることも、立つこともできません。
その場に居合わせてくれた●●さんと一緒に、非常用(災害時用)のポータブルトイレをセットしたり、看ててもらって必要なものを買いに行ったり、3時ごろまでかかって、ようやく周囲を整えることができ、落ち着きました。
でもその日は、私は七夕祭りの司会を引き受けていました。
母の枕元に、喉をつめないぐらいの小さいオニギリとお茶を用意し、「寝ながらでもいいから、食べておいてな」と、会場に向かいました。
七夕まつりのフィナーレは「手筒花火」。
「わっしょい!」と掛け声を言うものの、母のことが心配で、ただただ無事故で手筒花火が終わることだけを考えていました。
急いで帰ると、母が必死に痛みに耐えていました。
いわゆる「日にち薬」と言われるように、我慢するしかありません。
ポータブルに移るときも、まずは私の肩につかまってもらって身体を起こし、それから両脇を抱えてポータブルトイレに座らせ、下着の上げ下ろしも、またベッドに横になるのも、一人では全く無理でした。
でも、食事にはこだわりのある母ですので、やっぱり、ちゃんと食卓について、タジン鍋で蒸した野菜、お肉、十六穀米の入ったご飯、ぬか漬けetc・・・を食べないと気が済みません。
いくら痛くても、私に抱きかかえられながらテーブルのところまで行き、しっかり食べてくれていました。
ベッドは普通のパイプベッドだし、ポータブルトイレといっても非常用の段ボールを組み立てるやつで、手すりもないし、本人も痛みに耐えないといけないし、私も足も腰も肩も痛くなってくるし、そんな状態での介護が、土曜、日曜、月曜と続き、母も私もすっかり疲れてしまいました。
そこで、ふと、友人のお義父さんの介護生活のことを思い出しました。
残念ながら自宅で過ごされるのは短かったのですが、その間、介護ベッドを借りて家族で看ていたとのこと。
月曜日の朝、市の高齢者福祉の担当課に電話をして「こうこうこういう状態なのですが、介護ベッドは借りられるのですか?」と尋ねてみました。
すると、「明日(火曜日)に診てもらった結果によって、すぐに業者さんに持ってきてもらえるように手配しておきます」とのことで、とても親切・丁寧に対応してくださいました。
そして、10日(火曜日)に再度受診した結果、やはり肋骨が2本折れていたことが判明しました。
母は、「普段から私は一人暮らしで、娘も(私のこと)家庭があるし、仕事もあるので、私の世話をしてもらうのが本当に大変だから、入院させてほしい」と哀願しました。
でも、やっぱり「入院治療はできません」と言われたので、すぐに市の担当の方に連絡をしたら、なんと、病院から帰ってきた30分後に業者さんと一緒に介護ベッドと手すりのついたポータブルトイレを持ってきてくださり、しばらく続くであろう介護生活の第1歩を助けてくださいました。
「介護される側・介護する側の気持ち」を本当によくわかってくださってて、その素早い対応に涙がでました。
それからです。
ベッドの背を起こし、上体も起こしてからベッドの手すりにつかまり、自分で身体を起こして支え、ゆっくり立てるようになったのは・・・。
そして、次の日には、すぐ近くに置いたポータブルにも自分で移れるようにもなりました。
「介護ベッド」は、「介護」のためだけではなく「自立」を助けるものだということを実感しました。
まだ自分で歩くことはできませんでしたし、もちろん、食事の支度などもできませんでしたが、そのベッドが来てからというもの、母も私も、ずいぶん楽になりました。
きっと迅速な対応をしてくださった包括支援センターの職員さんの心遣いが、私たちの気持ちを楽にさせてくださったのかもしれません。
それから、約1か月。
結婚して実家を出て、娘を出産した後に実家で過ごした時以来、22年ぶりに実家で母と過ごしたわけですが、いろいろ大変でだったものの、私にとっては母と過ごす時間が嬉しかったですし、同時に母の偉大さがよくわかりました。
かつて中華料理店を営んでいたところに住まいもありますので、普通のお家とは違って、段差は多いは、間仕切りは多いは、身体が不自由になると本当にバリアになるものがいっぱい。
元気な私でさえ、上がり降りが面倒に思えますし、足腰が痛いと感じます。
窓を開けたり閉めたりするのも、あっちの窓、こっちの窓と家中をアチコチしないといけません。
食事の支度は、かつての厨房ですので、いちいち靴を履いて下りなければいけません。
一人暮らしの高齢の母が、これだけのことをやってきてたんだ・・・と、「劇的ビフォーアフター」に出したいと思ったぐらいでした。
そして、心配して母を見舞ってくださる人が次から次に来られ、母の様子をうかがうよりも、自分のことや悩みを母に聞いてもらって帰られるという、ありがたいような、正直ちょっと気が休まらないような、そんな1か月でした。
7月7日の朝、不整脈が元に戻ろうとした際に気を失って転倒。
7月10日、再受診。骨折が判明。
7月26日、いつものドクターに診てもらうが、大学病院での受診を勧められる。
8月8日、いろいろな検査の結果を見て、紹介状を書いてもらい、大学病院での診察を予約してもらう。
8月16日、循環器科の教授に診ていただく。
このとき初めて、気を失っていた6秒ほどの間、実は心臓が止まってた状態だったということを知りました。
(これまで何度も地元の病院の主治医に言ってたのに~)
そして、母の不整脈の明確なデータをとったうえで、カテーテルアブレーションによる治療よりも、ペースメーカーを入れるほうが効果があるとのことで、「四六時中モニターで心電図を監視するのに、暑い時だし、病院もきれいになったし、一人暮らしのお母さんのことを娘さんも心配だろうから、一日も早く入院しましょう」と、神様か仏様かのような言葉を言っていただき、教授自ら、病棟にベッドの空きを確認してくださいました。
8月17日、ペースメーカーを入れる手術にむけて、検査ののための入院。
でも、先生が確実な証拠を得たいとおっしゃる不整脈がいつ起こるかわかりません。1か月に2回ほどあった発作もこの1か月は何もなかったし、このまま、不整脈が起こらなかったらどうなるんやろ~。出るまで待つのかな~。それやったら長引くな~と思っていました。
8月18日、朝、隣のベッドのおばあさんが夜中に何度も「痰」を出す音で寝られなかったと母からメールが来て、「逆に、睡眠不足が引き金になって不整脈起こるかもしれんやん。そうなったら、早く確実なデータとってもらえるやん」と、やりとりをしていたら、しばらく返信がなく、30分ほど経った次の返信に「やっぱり来たわ。今、心電図とってもらった」とメールが来ました。
大学病院の教授や主治医の先生が欲しかった確実なデータがとれる不整脈が入院2日目に起こり、そして、
8月19日、早朝、不整脈がおさまるときに起きる「めまい」のような症状が出て、それもしっかりモニターで監視・記録されていて、心臓が数秒間止まっていることなどが目で見てわかるデータがとれました。
そろそろ発作も起こる頃だったのもあるかと思いますが、こんなに早く目的のものが現われるなんて、ホントに奇跡のよう。
このまま順調に手術も早めにできればいいのですが、母自身も、今回、大学病院に来て初めて自分の心臓の状態をちゃんと説明してもらえて、納得して、ドクターや看護師さんに、すごくよくしてもらって、ホントに感謝しています。
何年か前にも、今回のように気を失ったことがあり、それからも「めまい」のようなものがあったのですが、そのときも「老人にはよくあることだ」で済まされていて、こんなことなら、もっと早く、こちらからハッキリとセカンドオピニオンを受けたいので、紹介状を書いてくださいと言って、大学病院に連れてきてあげていればよかったと、後悔しています。
でも、何より、患者やその家族の気持ちに寄り添った言葉をかけてもらい、高齢者だからとあきらめたような言葉ではなく、丁寧に扱って看ていただいていことが、母にとっては一番嬉しいのだと思います。
手術の日がいつになるかまだ決まっていませんが、一日も早く、今まで以上に元気になってもらえたら私も嬉しいです。
退院したら、まず焼き肉を食べに行って、それからしばらくしたらアカスリに行く予定です。
長々たらたらと、7月からのことを思い返しながら書きました。
母には不思議な力があります。
心が折れそうになったとき、迷ったとき、嬉しかったとき、気分が悪いとき、どんなときも受け止めてくれるだけの温かい強い心があります。
それは、どのお母さんにも。
私も、そろそろそんな年齢かもしれません。
あと、わずか17年で母は100歳。
そのとき私は64歳。
まだまだこれからですね。
また、海外旅行も一緒にいきたいな。
病院との往復もまだまだこれからです・・・。
でも、今回の打撲と骨折は2次的なもので、そもそもの原因は時折起きる心房細動の不整脈により、気を失って転倒したことでした。
今ようやく、その不整脈の治療のため、大学病院に入院させていただいています。
これまで、地元の病院では「●●さんの不整脈は大丈夫なやつやで、これで死ぬことはないから」で済まされていました。
なので、ホント、ようやく・・・です。
その日、気を失っていたのは、6秒ほどのことだったようですが、ちょうどそのとき、たまたま知人が母のところを訪ねてくれて、「アカン、病院行こう!」と言って、地元の病院に救急で連れて行ってくださいました。
そこから母が自分で電話をしてきて、「実は今、●●さんに連れてきてもらって、●●病院に来てる。大丈夫やから心配せんとき」と・・・。
心配せんとき言うても、他人さんに連れてきてもらってるのに、大丈夫なわけがありません。
すぐさまかけつけたら、頭のCTなどを撮ってもらったところでした。
その●●さんは、お義母さんの介護の経験があり、本当にテキパキと母を車いすに乗せて病院内をアチコチ検査などに連れてくださり、その人がいなかったら、母ひとりでどうなっていただろうと思います。
「なんか、車がこっち向いて走っててん」と、偶然のことだったかもしれませんが、本当にその人が訪ねてくださったことに感謝です。
でも、前述のように「今のレントゲンでは、はっきっりと骨折がどうかわからないが、もし、あばら骨が折れていても、何も治療することがないので、入院できません」と整形の医師から言われ、内科の先生からは「今は不整脈もおさまってるから、もし、入院しても、何のために入院してるんやろ~ということにもなりかねんから、家に帰ってもいいですよ」とのこと。
私も、「先生が言わはるんなら、大丈夫なんやろう」と、母の家に一緒に帰ったものの、とてもじゃないけど、母が一人で起き上がることも、立つこともできません。
その場に居合わせてくれた●●さんと一緒に、非常用(災害時用)のポータブルトイレをセットしたり、看ててもらって必要なものを買いに行ったり、3時ごろまでかかって、ようやく周囲を整えることができ、落ち着きました。
でもその日は、私は七夕祭りの司会を引き受けていました。
母の枕元に、喉をつめないぐらいの小さいオニギリとお茶を用意し、「寝ながらでもいいから、食べておいてな」と、会場に向かいました。
七夕まつりのフィナーレは「手筒花火」。
「わっしょい!」と掛け声を言うものの、母のことが心配で、ただただ無事故で手筒花火が終わることだけを考えていました。
急いで帰ると、母が必死に痛みに耐えていました。
いわゆる「日にち薬」と言われるように、我慢するしかありません。
ポータブルに移るときも、まずは私の肩につかまってもらって身体を起こし、それから両脇を抱えてポータブルトイレに座らせ、下着の上げ下ろしも、またベッドに横になるのも、一人では全く無理でした。
でも、食事にはこだわりのある母ですので、やっぱり、ちゃんと食卓について、タジン鍋で蒸した野菜、お肉、十六穀米の入ったご飯、ぬか漬けetc・・・を食べないと気が済みません。
いくら痛くても、私に抱きかかえられながらテーブルのところまで行き、しっかり食べてくれていました。
ベッドは普通のパイプベッドだし、ポータブルトイレといっても非常用の段ボールを組み立てるやつで、手すりもないし、本人も痛みに耐えないといけないし、私も足も腰も肩も痛くなってくるし、そんな状態での介護が、土曜、日曜、月曜と続き、母も私もすっかり疲れてしまいました。
そこで、ふと、友人のお義父さんの介護生活のことを思い出しました。
残念ながら自宅で過ごされるのは短かったのですが、その間、介護ベッドを借りて家族で看ていたとのこと。
月曜日の朝、市の高齢者福祉の担当課に電話をして「こうこうこういう状態なのですが、介護ベッドは借りられるのですか?」と尋ねてみました。
すると、「明日(火曜日)に診てもらった結果によって、すぐに業者さんに持ってきてもらえるように手配しておきます」とのことで、とても親切・丁寧に対応してくださいました。
そして、10日(火曜日)に再度受診した結果、やはり肋骨が2本折れていたことが判明しました。
母は、「普段から私は一人暮らしで、娘も(私のこと)家庭があるし、仕事もあるので、私の世話をしてもらうのが本当に大変だから、入院させてほしい」と哀願しました。
でも、やっぱり「入院治療はできません」と言われたので、すぐに市の担当の方に連絡をしたら、なんと、病院から帰ってきた30分後に業者さんと一緒に介護ベッドと手すりのついたポータブルトイレを持ってきてくださり、しばらく続くであろう介護生活の第1歩を助けてくださいました。
「介護される側・介護する側の気持ち」を本当によくわかってくださってて、その素早い対応に涙がでました。
それからです。
ベッドの背を起こし、上体も起こしてからベッドの手すりにつかまり、自分で身体を起こして支え、ゆっくり立てるようになったのは・・・。
そして、次の日には、すぐ近くに置いたポータブルにも自分で移れるようにもなりました。
「介護ベッド」は、「介護」のためだけではなく「自立」を助けるものだということを実感しました。
まだ自分で歩くことはできませんでしたし、もちろん、食事の支度などもできませんでしたが、そのベッドが来てからというもの、母も私も、ずいぶん楽になりました。
きっと迅速な対応をしてくださった包括支援センターの職員さんの心遣いが、私たちの気持ちを楽にさせてくださったのかもしれません。
それから、約1か月。
結婚して実家を出て、娘を出産した後に実家で過ごした時以来、22年ぶりに実家で母と過ごしたわけですが、いろいろ大変でだったものの、私にとっては母と過ごす時間が嬉しかったですし、同時に母の偉大さがよくわかりました。
かつて中華料理店を営んでいたところに住まいもありますので、普通のお家とは違って、段差は多いは、間仕切りは多いは、身体が不自由になると本当にバリアになるものがいっぱい。
元気な私でさえ、上がり降りが面倒に思えますし、足腰が痛いと感じます。
窓を開けたり閉めたりするのも、あっちの窓、こっちの窓と家中をアチコチしないといけません。
食事の支度は、かつての厨房ですので、いちいち靴を履いて下りなければいけません。
一人暮らしの高齢の母が、これだけのことをやってきてたんだ・・・と、「劇的ビフォーアフター」に出したいと思ったぐらいでした。
そして、心配して母を見舞ってくださる人が次から次に来られ、母の様子をうかがうよりも、自分のことや悩みを母に聞いてもらって帰られるという、ありがたいような、正直ちょっと気が休まらないような、そんな1か月でした。
7月7日の朝、不整脈が元に戻ろうとした際に気を失って転倒。
7月10日、再受診。骨折が判明。
7月26日、いつものドクターに診てもらうが、大学病院での受診を勧められる。
8月8日、いろいろな検査の結果を見て、紹介状を書いてもらい、大学病院での診察を予約してもらう。
8月16日、循環器科の教授に診ていただく。
このとき初めて、気を失っていた6秒ほどの間、実は心臓が止まってた状態だったということを知りました。
(これまで何度も地元の病院の主治医に言ってたのに~)
そして、母の不整脈の明確なデータをとったうえで、カテーテルアブレーションによる治療よりも、ペースメーカーを入れるほうが効果があるとのことで、「四六時中モニターで心電図を監視するのに、暑い時だし、病院もきれいになったし、一人暮らしのお母さんのことを娘さんも心配だろうから、一日も早く入院しましょう」と、神様か仏様かのような言葉を言っていただき、教授自ら、病棟にベッドの空きを確認してくださいました。
8月17日、ペースメーカーを入れる手術にむけて、検査ののための入院。
でも、先生が確実な証拠を得たいとおっしゃる不整脈がいつ起こるかわかりません。1か月に2回ほどあった発作もこの1か月は何もなかったし、このまま、不整脈が起こらなかったらどうなるんやろ~。出るまで待つのかな~。それやったら長引くな~と思っていました。
8月18日、朝、隣のベッドのおばあさんが夜中に何度も「痰」を出す音で寝られなかったと母からメールが来て、「逆に、睡眠不足が引き金になって不整脈起こるかもしれんやん。そうなったら、早く確実なデータとってもらえるやん」と、やりとりをしていたら、しばらく返信がなく、30分ほど経った次の返信に「やっぱり来たわ。今、心電図とってもらった」とメールが来ました。
大学病院の教授や主治医の先生が欲しかった確実なデータがとれる不整脈が入院2日目に起こり、そして、
8月19日、早朝、不整脈がおさまるときに起きる「めまい」のような症状が出て、それもしっかりモニターで監視・記録されていて、心臓が数秒間止まっていることなどが目で見てわかるデータがとれました。
そろそろ発作も起こる頃だったのもあるかと思いますが、こんなに早く目的のものが現われるなんて、ホントに奇跡のよう。
このまま順調に手術も早めにできればいいのですが、母自身も、今回、大学病院に来て初めて自分の心臓の状態をちゃんと説明してもらえて、納得して、ドクターや看護師さんに、すごくよくしてもらって、ホントに感謝しています。
何年か前にも、今回のように気を失ったことがあり、それからも「めまい」のようなものがあったのですが、そのときも「老人にはよくあることだ」で済まされていて、こんなことなら、もっと早く、こちらからハッキリとセカンドオピニオンを受けたいので、紹介状を書いてくださいと言って、大学病院に連れてきてあげていればよかったと、後悔しています。
でも、何より、患者やその家族の気持ちに寄り添った言葉をかけてもらい、高齢者だからとあきらめたような言葉ではなく、丁寧に扱って看ていただいていことが、母にとっては一番嬉しいのだと思います。
手術の日がいつになるかまだ決まっていませんが、一日も早く、今まで以上に元気になってもらえたら私も嬉しいです。
退院したら、まず焼き肉を食べに行って、それからしばらくしたらアカスリに行く予定です。
長々たらたらと、7月からのことを思い返しながら書きました。
母には不思議な力があります。
心が折れそうになったとき、迷ったとき、嬉しかったとき、気分が悪いとき、どんなときも受け止めてくれるだけの温かい強い心があります。
それは、どのお母さんにも。
私も、そろそろそんな年齢かもしれません。
あと、わずか17年で母は100歳。
そのとき私は64歳。
まだまだこれからですね。
また、海外旅行も一緒にいきたいな。
病院との往復もまだまだこれからです・・・。
2012年01月24日
お袋のスマホ袋・・・あったかい(*^^*)
あまり女の人が母親のことを「お袋」とはいいませんが、
82歳の私の母が、あまりにも嬉しそうに私がスマートフォンを触っているので、
それを見て、
スマホ袋を作ってくれました。
バッテーリーが早く減るので、予備の電池を持ってないといけませんし、PCから充電したり、車で充電するときのコネクタみたいなのも持ってないといけないので、スマフォ一つでいろんなものも同時に持ってないといけません。
なので、一式入れられるように・・・と・・・。

中は水玉・・・カジュアルな服装のときに。
外は黒のべっちん・・・仕事やフォーマルなときに。
はい、リバーシブルです。
なんか、とっても温かい
私も娘に作ってやろうかな~
そろそろ私の
堪忍袋の緒が切れかかってるので、気合入れなおすために・・・・
いえいえ、いくつになっても、世代が違っても、母が娘を想う気持ちは同じ。
娘が喜ぶ顔を見ると幸せですね
82歳の私の母が、あまりにも嬉しそうに私がスマートフォンを触っているので、
それを見て、

バッテーリーが早く減るので、予備の電池を持ってないといけませんし、PCから充電したり、車で充電するときのコネクタみたいなのも持ってないといけないので、スマフォ一つでいろんなものも同時に持ってないといけません。
なので、一式入れられるように・・・と・・・。
中は水玉・・・カジュアルな服装のときに。
外は黒のべっちん・・・仕事やフォーマルなときに。
はい、リバーシブルです。
なんか、とっても温かい

私も娘に作ってやろうかな~

そろそろ私の


いえいえ、いくつになっても、世代が違っても、母が娘を想う気持ちは同じ。
娘が喜ぶ顔を見ると幸せですね

2011年12月24日
かまくら5号・・・・☆



我が家は大人二人で味気ないイブでした。



名前のとおり「かまくら」みたい。
明日は本当にかまくらが作れるぐらいに

降雪や凍結なども予想されますし、だんだん気忙しくなってきていますので、どなた様も無事故で良い


タグ :クリスマス
2011年11月26日
82歳の誕生日はHappyBeefday!元気の源は「肉」!
昨日は母の82回目の誕生日
でした。
月に1度は
通院していますが、元気です!
その母の元気の源は、「肉」
ステーキだって、ペロリと食べますし、焼き肉も大好き。
誕生日の昨日、私も代休と疲れがたまっていたので、丸1日、お休みをいただくことにしました。
先週あたりから咳が出て気管支がどうも気持ち悪いので、午前中はかかりつけの
診療所へ。
そして午後から、母のところに行って、「餃子の皮」についての商談(?)というかなんというか、ある方(?)とお話しをさせていただきました。
私の餃子への「おもい」をなんとか「かたち」にしようとしてくださっています。
そのためには、いろいろな方の助けをいただきながら、まだまだ82歳の母にも元気でいてもらわないといけません!
ということで、そのお話しが終わってから母と某フランチャイズの焼き肉やさんへ!
食べ放題メニューもありますが、私でさえ、もうそんなにたくさんのお肉は食べられないので、単品でオーダーすることにしました。
お肉が数種類とキムチや
ドリンク
、おろしにんにく(無料サービス)を頼んだのですが、入店から会計を済ますまでの約1時間半。
まあ、いろいろありました。
(以下、愚痴や文句や批判ではありません。報告です)
まず、吸煙機から、他のところの
煙が逆流して私たちのところに吹き出してました。 → お店の人に言ってようやく気が付かれ、スイッチをONにされて解消されました。
次に、塩タンが運ばれてきました。でも、コンロは冷たいまま。下に炭が入っていません。 → しばらくして「お肉の間にはさんで食べてください」と、何か持ってこられた時に「すみません、火が・・・・」と言って初めて気が付かれました。
そして、頼んだお肉が次々に運ばれてきて、焼いて食べ始め、伝票もテーブルの下にかけられたのですが、いつまでたってもドリンクが来ません。 → 「ドリンクまだですか?」と1回目に言って、ようやく母の頼んだ
お酒が来ました。
でも、私の頼んだ
ノンアルコールビールが全然来ません。 → 申し訳なかったですが、3回、言いました。それも同じ子に・・・。お肉を半分食べたころ、ようやく来ました。
そして、タレにいっぱい入れて食べようとおもって頼んだ「おろしニンニク」が全然来ません。 → これも「いつ持ってきはるんやろ?」と思いながら、3回目に言ってようやく、小さな器に入って来ました。 手でおろしたはんのかな?と思いましたが、おそらく瓶に入った「おろしニンニク」だと思います。
ドリンクが来て、おろしニンニクが来て、ようやく美味しく楽しく食べることができました。
半分以上のお肉を、ドリンクなし、おろしニンニクなしの状態で食べた後でしたが・・・・。
実は、前に行ったときも「
ドリンク先におうかがおいします」と聞かれて、オーダーしたにもかかわらず、全然
ドリンクが来なくて、半分以上お肉を食べた頃に「すみません、飲み物まだですか?」と言ってはじめて持ってこられたということがありましたので、予想もしていて、「やっぱりか・・・」という気持ちではあったのですが、これから忘年会シーズンで忙しくなるのに、大丈夫なんかしら?と心配をしました。
きっと、めちゃくちゃ言うお客さんもいるだろうに・・・・。
で、最後に、「お誕生日の方には
ケーキのプレゼント」とあったので、母の健康保険証を見せたところ、すぐに線香花火パチパチ付きの
ケーキと
アイスが運ばれてきました!

なんと、この「Happy Birthday
」は手書き!
82歳の母も大喜び
ただ、この「Happy Birthday
」がいつ書かれたものかわかりませんが、これを書く時間があるなら、なんでドリンクとおろしニンニクがあんなに遅かったのか・・・・・。
まっ、これからいろいろ改善されたほうが良いと思うことが多々あったのですが、
最後に、
無料であったにもかかわらず、2人で食べるぐらいの量の
ケーキと
アイスのサービスがあったこと。
3回目か4回目だったので、
500円割引になったこと。
結果、とても安く食べられたこと。
以上のようなことで、いろいろあったこともチャラになり、得した気分で帰って来ました
「お肉食べな、食べた気せーへんし、お腹ふくれへんわ」と常々言う母。
私の肉好きも、やはり母の遺伝だと思います。
大阪にいる娘もお肉を食べて元気になるタイプで、先月、落ち込んでいたときも私の餃子と焼き肉で元気になりました。
「お肉は元気の源」です。
友人いわく、「Happy Birthday!」ではなく、「Happy Beefday!」やね。と・・・・。
そのとおりです

月に1度は

その母の元気の源は、「肉」

誕生日の昨日、私も代休と疲れがたまっていたので、丸1日、お休みをいただくことにしました。
先週あたりから咳が出て気管支がどうも気持ち悪いので、午前中はかかりつけの

そして午後から、母のところに行って、「餃子の皮」についての商談(?)というかなんというか、ある方(?)とお話しをさせていただきました。
私の餃子への「おもい」をなんとか「かたち」にしようとしてくださっています。
そのためには、いろいろな方の助けをいただきながら、まだまだ82歳の母にも元気でいてもらわないといけません!
ということで、そのお話しが終わってから母と某フランチャイズの焼き肉やさんへ!
食べ放題メニューもありますが、私でさえ、もうそんなにたくさんのお肉は食べられないので、単品でオーダーすることにしました。
お肉が数種類とキムチや


まあ、いろいろありました。
(以下、愚痴や文句や批判ではありません。報告です)
まず、吸煙機から、他のところの

次に、塩タンが運ばれてきました。でも、コンロは冷たいまま。下に炭が入っていません。 → しばらくして「お肉の間にはさんで食べてください」と、何か持ってこられた時に「すみません、火が・・・・」と言って初めて気が付かれました。
そして、頼んだお肉が次々に運ばれてきて、焼いて食べ始め、伝票もテーブルの下にかけられたのですが、いつまでたってもドリンクが来ません。 → 「ドリンクまだですか?」と1回目に言って、ようやく母の頼んだ

でも、私の頼んだ

そして、タレにいっぱい入れて食べようとおもって頼んだ「おろしニンニク」が全然来ません。 → これも「いつ持ってきはるんやろ?」と思いながら、3回目に言ってようやく、小さな器に入って来ました。 手でおろしたはんのかな?と思いましたが、おそらく瓶に入った「おろしニンニク」だと思います。
ドリンクが来て、おろしニンニクが来て、ようやく美味しく楽しく食べることができました。
半分以上のお肉を、ドリンクなし、おろしニンニクなしの状態で食べた後でしたが・・・・。
実は、前に行ったときも「


きっと、めちゃくちゃ言うお客さんもいるだろうに・・・・。
で、最後に、「お誕生日の方には




なんと、この「Happy Birthday

82歳の母も大喜び

ただ、この「Happy Birthday

まっ、これからいろいろ改善されたほうが良いと思うことが多々あったのですが、
最後に、
無料であったにもかかわらず、2人で食べるぐらいの量の


3回目か4回目だったので、

結果、とても安く食べられたこと。
以上のようなことで、いろいろあったこともチャラになり、得した気分で帰って来ました

「お肉食べな、食べた気せーへんし、お腹ふくれへんわ」と常々言う母。
私の肉好きも、やはり母の遺伝だと思います。
大阪にいる娘もお肉を食べて元気になるタイプで、先月、落ち込んでいたときも私の餃子と焼き肉で元気になりました。
「お肉は元気の源」です。
友人いわく、「Happy Birthday!」ではなく、「Happy Beefday!」やね。と・・・・。
そのとおりです


2011年11月01日
贅沢な時間 in 信楽 ~器と酒と料理と仲間~
基本的に、何かをつくって人様に喜んでいただくことが好きな私・・・。
「つくる」・・・・。
いろいろなものがあります。
司会で場の「雰囲気」をつくるのも好きです。
仕事などを通じて、人と人とをつなぐ「出会いの機会」「交流の機会」をつくるのも私の役割です。
そして何より、「美味しいもの」をつくって人に食べてもらって、「美味しい!」と言って笑顔を見せていただけるのが好きです。
そんな私が心から嬉しくて・楽しくて・贅沢で・素敵な時間を過ごさせてもらったのが、先週の土曜日に開催された「しがらき salon de グータン」。
今回のグータンは、第6回ぶらり窯元めぐりの2日目の夜、窯元散策路ナイトとジャズライブと近江の地酒の会との同時開催ということで、とっても「ええ感じ」でした。

会場のOgamaさんの裏では、4人のグータンスタッフがてんてこまいでしたが、登り窯のところに設営されたところから聞こえてくるジャズを聴きながらの料理の準備は実に気分よく、また、料理の手を止め外に出ると、登り窯がライトアップされ、その幻想的な雰囲気に酔いました。
携帯でささっと写真を撮ったら、またすぐ厨房に戻り、料理、盛付・・・・と、本当にてんやわんやでした・・・。
何種類ものメニューを考えて、材料から調理器具から、何からなにまで段取りしてくれた、むっちゃん(一番左)。
辛い出来事があったのに、笑顔で頑張ってくれたグータンの発案者、あづちゃん(左から2番目)。
朝の3時に起きて、魚を釣りに行って、それをさばいて何種類もの魚料理を作ってくれた、さちさん(一番右と下の写真)。
(右から2番目がわたくし)。


そして、女性たちのすることを何も言わずに支えてくれている、まっちゃん。

この4人とまっちゃんがスタッフということで頑張ったわけですが、実は、参加してくださってた議員さんや陶芸家さんを捕まえて(?)、焼き鳥の串刺し、魚のスライス、食器洗い、できた料理のお運びさんと、それはそれは、申し訳ないぐらいにお手伝いいただきました。

今回は皆さんとお話しながら・・・という余裕が全くありませんでしたが、バタバタしながらも厨房は厨房で、いろんなかたが覗いてくれて、とっても楽しかったです。
作るのと、味見するのとで、美味しい料理は全部撮影できませんでした。




地酒の飲み比べも最高!
でも、餃子に合う日本酒・・・・というのは難しいとうです。
そうそう、私の考案した、噂の「忍者餃子」も大好評で、160個の餃子はすぐになくなりました。

やっぱり、信楽焼の器が餃子を引き立たせてくれました。

焼くのは47年物の鉄鍋。実家の中華料理屋で使っていたものです。
Ogamaの中も、外も、美味しい近江の酒と料理と雰囲気で大いに盛り上がりましたよ!

次回は来年の春ごろになるかな~~~。
でも、その前に、国際交流協会で開催する「国際交流フェスタ 国ふぇす2011 in Koka」でグータンのブース出展も決定しましたよ。
そのときも、ぜひ、お越しくださいね。
「つくる」・・・・。
いろいろなものがあります。
司会で場の「雰囲気」をつくるのも好きです。
仕事などを通じて、人と人とをつなぐ「出会いの機会」「交流の機会」をつくるのも私の役割です。
そして何より、「美味しいもの」をつくって人に食べてもらって、「美味しい!」と言って笑顔を見せていただけるのが好きです。
そんな私が心から嬉しくて・楽しくて・贅沢で・素敵な時間を過ごさせてもらったのが、先週の土曜日に開催された「しがらき salon de グータン」。
今回のグータンは、第6回ぶらり窯元めぐりの2日目の夜、窯元散策路ナイトとジャズライブと近江の地酒の会との同時開催ということで、とっても「ええ感じ」でした。

会場のOgamaさんの裏では、4人のグータンスタッフがてんてこまいでしたが、登り窯のところに設営されたところから聞こえてくるジャズを聴きながらの料理の準備は実に気分よく、また、料理の手を止め外に出ると、登り窯がライトアップされ、その幻想的な雰囲気に酔いました。
携帯でささっと写真を撮ったら、またすぐ厨房に戻り、料理、盛付・・・・と、本当にてんやわんやでした・・・。
何種類ものメニューを考えて、材料から調理器具から、何からなにまで段取りしてくれた、むっちゃん(一番左)。
辛い出来事があったのに、笑顔で頑張ってくれたグータンの発案者、あづちゃん(左から2番目)。
朝の3時に起きて、魚を釣りに行って、それをさばいて何種類もの魚料理を作ってくれた、さちさん(一番右と下の写真)。
(右から2番目がわたくし)。


そして、女性たちのすることを何も言わずに支えてくれている、まっちゃん。

この4人とまっちゃんがスタッフということで頑張ったわけですが、実は、参加してくださってた議員さんや陶芸家さんを捕まえて(?)、焼き鳥の串刺し、魚のスライス、食器洗い、できた料理のお運びさんと、それはそれは、申し訳ないぐらいにお手伝いいただきました。

今回は皆さんとお話しながら・・・という余裕が全くありませんでしたが、バタバタしながらも厨房は厨房で、いろんなかたが覗いてくれて、とっても楽しかったです。
作るのと、味見するのとで、美味しい料理は全部撮影できませんでした。




地酒の飲み比べも最高!
でも、餃子に合う日本酒・・・・というのは難しいとうです。
そうそう、私の考案した、噂の「忍者餃子」も大好評で、160個の餃子はすぐになくなりました。

やっぱり、信楽焼の器が餃子を引き立たせてくれました。

焼くのは47年物の鉄鍋。実家の中華料理屋で使っていたものです。
Ogamaの中も、外も、美味しい近江の酒と料理と雰囲気で大いに盛り上がりましたよ!

次回は来年の春ごろになるかな~~~。
でも、その前に、国際交流協会で開催する「国際交流フェスタ 国ふぇす2011 in Koka」でグータンのブース出展も決定しましたよ。
そのときも、ぜひ、お越しくださいね。
2011年10月23日
自分との戦い!?大学5回生…(;^_^A
金曜日の夕方から
こだま
で新横浜まで行き、土曜、日曜日と東京での
スクーリングに参加しました。
夏のスクーリングから2ヶ月。
キャンパスの木々の葉が色づきはじめてました。

夏に出会った人や名古屋でのスクーリングで出会った人など、何年も在籍しているとお馴染みさんにも出会います。
はい、5年目です(;^_^A
仕事しながらの勉強は本当に自分との戦いです。
卒業まで何年かかるかわかりませんが、必ずやり遂げたいと思ってます。
さて、今回もいつもの超格安ホテルに滞在。
インターネットで早く予約すると2泊で7300円です(^^)v
駅から徒歩5分。
繁華街に近く、ドンキホーテもあるし、温泉施設もあるし、とても便利なところにあるのに、なんでこんなに安いのか…(@_@;)
まっ、真相はいいとして、安く泊まれた分、近くの温泉施設でゆっくりお風呂に入ってアカスリもしてもらえたし、決して贅沢な食事もしてませんが、自分のためだけの贅沢な学びの時間をいただきました!
仕事、趣味、勉強と忙しい日々が続きますが、次のスクーリングを楽しみに、また明日から頑張ります!



夏のスクーリングから2ヶ月。
キャンパスの木々の葉が色づきはじめてました。

夏に出会った人や名古屋でのスクーリングで出会った人など、何年も在籍しているとお馴染みさんにも出会います。
はい、5年目です(;^_^A
仕事しながらの勉強は本当に自分との戦いです。
卒業まで何年かかるかわかりませんが、必ずやり遂げたいと思ってます。
さて、今回もいつもの超格安ホテルに滞在。
インターネットで早く予約すると2泊で7300円です(^^)v
駅から徒歩5分。
繁華街に近く、ドンキホーテもあるし、温泉施設もあるし、とても便利なところにあるのに、なんでこんなに安いのか…(@_@;)
まっ、真相はいいとして、安く泊まれた分、近くの温泉施設でゆっくりお風呂に入ってアカスリもしてもらえたし、決して贅沢な食事もしてませんが、自分のためだけの贅沢な学びの時間をいただきました!
仕事、趣味、勉強と忙しい日々が続きますが、次のスクーリングを楽しみに、また明日から頑張ります!
2011年10月11日
47年前の10月10日と22年前の10月10日
1964年10月10日。
東京オリンピックの開会式が行われました。
なぜ、その日に開会式が行われることになったか・・・ということは、ご存じの方も多いと思いますが、過去の統計上、晴れの日である確率が高い日(晴れの特異日)だったからとのこと。
そして、国民の祝日「体育の日」となったそうですが、いつのまにやらハッピーマンデー法というので体育の日が10月の第2月曜となりました。
そのせいか、ここ最近の「体育の日」は雨ということも多いように思います。
そのまま10日を体育の日にしとけばよかったのに~~~とつくづく思うわけですが、実は、47年前の10月10日は私がオギャ~~~と誕生した日でありまして、「私の誕生日を祝日ではないようにしたからや~~~、いわんこっちゃない!」と思っていました。(今も思っています
)
今年は10日と月曜日が重なり、見事に
秋晴れの良いお天気になったではありませんか~~~。
そして実は、10月10日は結婚記念日でもあり、22年前、私たちの結婚を祝い、家の前で花火が打ち上げられたのを覚えています。(旦那の友達20人ほどが皆でお祝いしてくださったもの)
私は「自分の誕生日で祝日だから」この日に結婚式をしたくて、旦那は「晴れの特異日だから、もし誰かと結婚するなら10月10日に結婚式をしたかった」ということを付き合った当初に言っていました。
で、それを聞いて「10月10日の私の誕生日に結婚式できるんや!」と思い、運命かと思ってしまったんですよね・・・。
結局、理由が違ったわけですが・・・・。
でも、あれからもう22年も経つんですね・・・・。
で、久しぶりに二人で信楽に出かけまして、陶芸の森で行われていたセラミックアートマーケットで半日楽しんできたのですが、出店されていたある青年陶芸家さんが、「いっつも韓国やら東京やら、あちこちしたはるから、てっきり独身やと思ってましたわ~」と旦那を気の毒そ~~~な感じでご覧になってました。
おまけに、私のブログとかも読んでくださってる方が、「いつも餃子ばかり食べさせられてはる旦那さんですね」と言われたり、なんだか旦那に同情する声が多かったようにおもいました(><)
まっ、そんなわけで、47年前の10月10日は母親に産んでもらって、22年前の10月10日は嫁に来た日ということです。
肉じゃがと忍者ぎょうざでお祝いしました。


<くらしの器:炎の味がま>
普段の暮らしに使える、料理を引き立たせてくれる器です。
東京オリンピックの開会式が行われました。
なぜ、その日に開会式が行われることになったか・・・ということは、ご存じの方も多いと思いますが、過去の統計上、晴れの日である確率が高い日(晴れの特異日)だったからとのこと。
そして、国民の祝日「体育の日」となったそうですが、いつのまにやらハッピーマンデー法というので体育の日が10月の第2月曜となりました。
そのせいか、ここ最近の「体育の日」は雨ということも多いように思います。
そのまま10日を体育の日にしとけばよかったのに~~~とつくづく思うわけですが、実は、47年前の10月10日は私がオギャ~~~と誕生した日でありまして、「私の誕生日を祝日ではないようにしたからや~~~、いわんこっちゃない!」と思っていました。(今も思っています

今年は10日と月曜日が重なり、見事に

そして実は、10月10日は結婚記念日でもあり、22年前、私たちの結婚を祝い、家の前で花火が打ち上げられたのを覚えています。(旦那の友達20人ほどが皆でお祝いしてくださったもの)
私は「自分の誕生日で祝日だから」この日に結婚式をしたくて、旦那は「晴れの特異日だから、もし誰かと結婚するなら10月10日に結婚式をしたかった」ということを付き合った当初に言っていました。
で、それを聞いて「10月10日の私の誕生日に結婚式できるんや!」と思い、運命かと思ってしまったんですよね・・・。
結局、理由が違ったわけですが・・・・。
でも、あれからもう22年も経つんですね・・・・。
で、久しぶりに二人で信楽に出かけまして、陶芸の森で行われていたセラミックアートマーケットで半日楽しんできたのですが、出店されていたある青年陶芸家さんが、「いっつも韓国やら東京やら、あちこちしたはるから、てっきり独身やと思ってましたわ~」と旦那を気の毒そ~~~な感じでご覧になってました。
おまけに、私のブログとかも読んでくださってる方が、「いつも餃子ばかり食べさせられてはる旦那さんですね」と言われたり、なんだか旦那に同情する声が多かったようにおもいました(><)
まっ、そんなわけで、47年前の10月10日は母親に産んでもらって、22年前の10月10日は嫁に来た日ということです。
肉じゃがと忍者ぎょうざでお祝いしました。
<くらしの器:炎の味がま>
普段の暮らしに使える、料理を引き立たせてくれる器です。
2011年10月07日
免許の更新・・・
今日は3年ぶりの運転免許の更新に行きました。
当然次回も3年後です(><)
2時間の講習を受けさせていただき、講習が終わったころには新しい免許を交付していただけますが、半日がかりになりますよね。
私の場合、今日はお昼ごろには大津へ行かなければならなかったので、1日お休みをいただきました。
さて、道路交通法も社会情勢に合わせて改正されていますが、なかなかルールだけでは事故や違反は減りませんよね。
昨晩のテレビの番組でも言ってましたが、結局は一人ひとりのマナーであったりモラルであったり、そういった思いやりの心や他の人への配慮などが事故や違反をなくすのでしょうね。
私も十分わかってはいるのですが、ついついスピードが出すぎたり、携帯さわったり、食事したり、わき見したり・・・・・(^^;
安全運転チェックでは、見事にどの項目もあまりよくない傾向の判定となり、反省をしているところです。
今度こそはゴールド免許をいただけるよう、今日から3年、頑張るぞ~~~。
ということで、せっかくのお休みでしたので、帰りに近くのお風呂に行って、マッサージしてもらってきました。

明日から3連休ですが、まずは家の掃除して、夜には日本語教室のお手伝いに行って、帰ってから「忍者餃子」と普通の餃子をつくる予定です。
当然次回も3年後です(><)
2時間の講習を受けさせていただき、講習が終わったころには新しい免許を交付していただけますが、半日がかりになりますよね。
私の場合、今日はお昼ごろには大津へ行かなければならなかったので、1日お休みをいただきました。
さて、道路交通法も社会情勢に合わせて改正されていますが、なかなかルールだけでは事故や違反は減りませんよね。
昨晩のテレビの番組でも言ってましたが、結局は一人ひとりのマナーであったりモラルであったり、そういった思いやりの心や他の人への配慮などが事故や違反をなくすのでしょうね。
私も十分わかってはいるのですが、ついついスピードが出すぎたり、携帯さわったり、食事したり、わき見したり・・・・・(^^;
安全運転チェックでは、見事にどの項目もあまりよくない傾向の判定となり、反省をしているところです。
今度こそはゴールド免許をいただけるよう、今日から3年、頑張るぞ~~~。
ということで、せっかくのお休みでしたので、帰りに近くのお風呂に行って、マッサージしてもらってきました。

明日から3連休ですが、まずは家の掃除して、夜には日本語教室のお手伝いに行って、帰ってから「忍者餃子」と普通の餃子をつくる予定です。
2011年10月01日
首もとを温める!?

10月に入ったと思ったら急に涼しくなりましたね。
これから12月ぐらいの気温になるとも…。
急いで衣替えをしないといけませんね。
我が家の14歳の黒ラブ・ダンくんは高齢なので、まずは首もとを冷やさないよう!?赤いバンダナをしました。
黒ラブに赤いバンダナ、よく似合いますね。
この夏の暑さにも耐えた過保護犬のダン。
旦那が秋用に作った犬小屋にも入らず、その辺のお気に入りの場所で寝ています(^_-)