2013年01月18日
あの日から18年、あれから1か月・・・。
18年前のあの日の朝、ここ滋賀でも大きな揺れを感じ、思わず、寝ている娘の上に覆いかぶさったのを覚えている。
ニュースで鎮魂の炎が灯されている映像を見て、「みんな乗り越えてきはったんや・・・」と、涙があふれた。
そして、2年前のあの日、大きな被害を受け、大切な家族を失った方も神戸にかけつけておられた。
なかなか悲しみが癒えない方もおられるだろう。当然だ。
どれだけ時間が経とうとも、戻らない数々の大切なもの・・・。
それが、写真であったり、人であったり、ペットであったり・・・。
我が家は昨年末に15年一緒にいた愛犬「ダン」が他界した。
震災で失われた状況と一緒にはできないが、「乗り越えた」人たちをテレビで見て、愛犬を失った悲しい気持ちを切り替え、もう悲しむのはやめようと思った。
先週放送された「鉄腕ダッシュ」。
その中で、山口達也さんの愛犬「じゅのん」の最期の様子が映った。
もうそろそろ立ち直れるかな・・・と思っていたところにその映像をみてしまったので、亡くなった愛犬「ダン」と重なってしまった・・・・。
歯も生え変わり、大きくなってしまっていた黒ラブはホームセンターの裏で売れ残っていた。
ショーウィンドーにはまだまだ小さく可愛い子犬がいろいろいたが、その売れ残りの黒ラブを見た瞬間、「僕を連れて帰って~~~~」という声が聞こえた!
そして、クレジットカードの翌月1回払いで買って連れて帰った。
その日から、娘の新しい友達になり、家族になった。
至れり尽くせり、超過保護犬だった。
大事に大事にしてきた。
特に旦那のほうが散歩を楽しみにしていた。
でも、15年も生き、日に日に弱ってきているのをここ1年ほどは感じていた。
そして、ここ数か月はヨタヨタで散歩もままならず、介護が必要だった。
でも私は7月から母の介護や日常のお世話もあり、実家に泊まり込んでいたので、あまりダンの世話はできなかった。
旦那が献身的にダンの世話をしてくれていた。
娘もいろいろ世話をしてくれた。
でも、そのダンのことで旦那と娘の間で喧嘩もあったという。ダンを大事に思うがゆえに・・・。
それを聞くたびに私は心苦しかった。
私は母のことを看てあげたかったし、心配だったし、なかなか家に帰れなかった。
12月中旬、母も回復してきたので、ボチボチ私もクリスマスには自宅に戻り、ダンの世話をするつもりでいた。
それから数日後、娘から「ダンが変な鳴き方しよる・・・。」と電話。
何が言いたかったのだろう。どこか痛かったのだろうか?
そしてそれから2日後の12月22日・・・。
私は、11月に亡くなったおばあちゃんの四十九日の法要に母と一緒に行き、それが終わったら、ダンの世話に帰るつもりだった。
すると、法要に出かける前に、娘から「ダンが死んだ」という電話が入った。
私は、すぐにでも帰りたかった。でも、法要を済ませないと帰れないので、それが終わるまでダンをそのままにしておいてほしいと旦那に頼んだ。
でも、でも、
私が帰る前に、旦那と娘の手で、綿向山の麓にあるうちの畑に埋葬された。
ダンの最期の顔をみることはできなかった。
私の部屋の前の廊下で死んでいたという。
優しい優しい顔をして・・・。
最後に私の姿を探しに来たのだろうか。
悲しくて、悲しくて、おばあちゃんの四十九日の法要の間も、泣けてきて泣けてきて、ダンの最期を看られなかったことへの後悔やなぜもう少し埋葬するのを待ってくれなかったのかという怒りや、いろいろな感情がこみあげてきた。
でも、最後の姿を見てなかったから、救われたのかもしれない。きっと、顔を見て、埋葬するところを見ていたら、もっともっと脳裏にこびりついて立ち直れないと思う。
そして、もし、介護が必要な状態が続いていたら、家事、仕事、母のこと、餃子づくりで、水口と日野を何度も行ったりきたりしている私が「僕の介護」で疲れるだろうと、ダン自身が察知したのかもしれないと思った。
そして、「僕のことで家族が喧嘩しないで」、「迷惑かけたくない」とダンが思ったのかな。
そんなことを考えてくれたのだと私は信じている。
ダン、ありがとう。
友達が、私が泣いてたら、天国のダンちゃんも悲しむよ・・・って励ましてくれた。
そうだね。笑ってないとね。
阪神淡路大震災から18年。
東日本大震災から2年。
そして、ダンの死から1か月・・・。
今日、1.17を機会に乗り越えよう。
ダン、ありがとう。

ニュースで鎮魂の炎が灯されている映像を見て、「みんな乗り越えてきはったんや・・・」と、涙があふれた。
そして、2年前のあの日、大きな被害を受け、大切な家族を失った方も神戸にかけつけておられた。
なかなか悲しみが癒えない方もおられるだろう。当然だ。
どれだけ時間が経とうとも、戻らない数々の大切なもの・・・。
それが、写真であったり、人であったり、ペットであったり・・・。
我が家は昨年末に15年一緒にいた愛犬「ダン」が他界した。
震災で失われた状況と一緒にはできないが、「乗り越えた」人たちをテレビで見て、愛犬を失った悲しい気持ちを切り替え、もう悲しむのはやめようと思った。
先週放送された「鉄腕ダッシュ」。
その中で、山口達也さんの愛犬「じゅのん」の最期の様子が映った。
もうそろそろ立ち直れるかな・・・と思っていたところにその映像をみてしまったので、亡くなった愛犬「ダン」と重なってしまった・・・・。
歯も生え変わり、大きくなってしまっていた黒ラブはホームセンターの裏で売れ残っていた。
ショーウィンドーにはまだまだ小さく可愛い子犬がいろいろいたが、その売れ残りの黒ラブを見た瞬間、「僕を連れて帰って~~~~」という声が聞こえた!
そして、クレジットカードの翌月1回払いで買って連れて帰った。
その日から、娘の新しい友達になり、家族になった。
至れり尽くせり、超過保護犬だった。
大事に大事にしてきた。
特に旦那のほうが散歩を楽しみにしていた。
でも、15年も生き、日に日に弱ってきているのをここ1年ほどは感じていた。
そして、ここ数か月はヨタヨタで散歩もままならず、介護が必要だった。
でも私は7月から母の介護や日常のお世話もあり、実家に泊まり込んでいたので、あまりダンの世話はできなかった。
旦那が献身的にダンの世話をしてくれていた。
娘もいろいろ世話をしてくれた。
でも、そのダンのことで旦那と娘の間で喧嘩もあったという。ダンを大事に思うがゆえに・・・。
それを聞くたびに私は心苦しかった。
私は母のことを看てあげたかったし、心配だったし、なかなか家に帰れなかった。
12月中旬、母も回復してきたので、ボチボチ私もクリスマスには自宅に戻り、ダンの世話をするつもりでいた。
それから数日後、娘から「ダンが変な鳴き方しよる・・・。」と電話。
何が言いたかったのだろう。どこか痛かったのだろうか?
そしてそれから2日後の12月22日・・・。
私は、11月に亡くなったおばあちゃんの四十九日の法要に母と一緒に行き、それが終わったら、ダンの世話に帰るつもりだった。
すると、法要に出かける前に、娘から「ダンが死んだ」という電話が入った。
私は、すぐにでも帰りたかった。でも、法要を済ませないと帰れないので、それが終わるまでダンをそのままにしておいてほしいと旦那に頼んだ。
でも、でも、
私が帰る前に、旦那と娘の手で、綿向山の麓にあるうちの畑に埋葬された。
ダンの最期の顔をみることはできなかった。
私の部屋の前の廊下で死んでいたという。
優しい優しい顔をして・・・。
最後に私の姿を探しに来たのだろうか。
悲しくて、悲しくて、おばあちゃんの四十九日の法要の間も、泣けてきて泣けてきて、ダンの最期を看られなかったことへの後悔やなぜもう少し埋葬するのを待ってくれなかったのかという怒りや、いろいろな感情がこみあげてきた。
でも、最後の姿を見てなかったから、救われたのかもしれない。きっと、顔を見て、埋葬するところを見ていたら、もっともっと脳裏にこびりついて立ち直れないと思う。
そして、もし、介護が必要な状態が続いていたら、家事、仕事、母のこと、餃子づくりで、水口と日野を何度も行ったりきたりしている私が「僕の介護」で疲れるだろうと、ダン自身が察知したのかもしれないと思った。
そして、「僕のことで家族が喧嘩しないで」、「迷惑かけたくない」とダンが思ったのかな。
そんなことを考えてくれたのだと私は信じている。
ダン、ありがとう。
友達が、私が泣いてたら、天国のダンちゃんも悲しむよ・・・って励ましてくれた。
そうだね。笑ってないとね。
阪神淡路大震災から18年。
東日本大震災から2年。
そして、ダンの死から1か月・・・。
今日、1.17を機会に乗り越えよう。
ダン、ありがとう。
