2011年06月12日
苦労を乗り越えた人しか苦労を語れない!?
先週は会議の連続で、帰宅するもの毎晩10時をまわっていたので、なかなかブログへの投稿ができず、久しぶりの更新です(^^;
facebookには、ちょこちょこ書き込んではいるのですが・・・(^^;
そんなバタバタの1週間でしたが、昨日は、朝から親戚の忌明けの法要があり、家から出た叔父さんの奥さんのことなので、田舎の長男の親元の嫁として、お参りに行きました。
お寺での法要が終わり、伊賀市の山の中にある料理屋さんで食事だったのですが、私は、ある環境・清掃関係の企業の会長さんの傘寿を祝う会の司会のため、途中で失礼させていただき、土山のホテルまで車を飛ばして行きました。
司会のご依頼をいただいた時には、もう法事の予定はあったので、会場に行けるのが本当にギリギリになると言ってはいましたが、開会予定時間の40分前に会場入りという、ホント、冷や汗ものでした。
(最低でも1時間前、普通で1時間半か2時間前には会場入りして、最終の打ち合わせなどをしなくてはいけないのですが・・・特にホテルの場合・・・)
もうひとつ、「セ~~~フ!」だったのが、伊賀から土山まで行くのに新名神を飛ばしていたのですが、もう少しで覆面パトカーを猛スピードで追い抜くところでした。
もしかしたら・・・と、85キロぐらいでゆっくり追い越したのですが、その後もその車はピッタリ私の車についてきて、そして、甲南ICで降りるときも後ろにいて、さあETCを通ろうと思ったら、くるっとUターンして本線に戻っていくのがルームミラーに映りました。
間違いなく、そうでした(^^;
もし、スピード超過で検挙されてたら、傘寿の会の開会に間に合わなかったことでしょう。
前置きが長くなりましたが、傘寿とは、かぞえで80歳のことをいいます。
「八」は末広がりということで、傘もパッと広がるものであり、漢字で書くと「八」の下に「十」があり、「人」という字が入っています。
漢字辞典も見てないし、本当の意味はわかりませんが、「傘」という漢字には、八十年の中に、「人として生を受ける」「大人になる」など、いろいろな意味で「人」となるための過程が含まれているのではないでしょうか?
人生80年、まさに、いろんな人との出会いがあり、ご苦労があり、それを乗り越えられたからこそ今がある・・・ということを教えていただいた傘寿を祝う会でした。

その会長さんの喜寿(77歳)のお祝いの時も司会をさせていただいたのですが、そのときも会長さんのパワーに圧倒され、また、厳しい中にも社員さんや家族への愛情があふれていることに感動しました。
その3年後ということですが、今回はまさに「故郷に錦を飾る」会になったのではないでしょうか。
人として、女性として、母として、実業家として、地域を愛し、家族を愛し、会社を愛し、立派に後継者を育て、「いま」を築いてこられました。
祝う会には、国会議員の先生や市長さん、地元企業の社長さんや会長さんはじめ、元町長さんや日頃お世話になっている方々や会社幹部の皆さん、ご家族、ご親戚、約120名が出席されました。
そして、京都宮川町の芸奴さんや舞妓さんもお祝いにかけつけてくださり、祝舞を披露され、祝宴の間もずっと給仕をしてくださり、本当に華やかでした。

また、スペシャルゲストには、会長のお友達であるオスマンサンコンさんがサプライズでかけつけてくださいました。

会場入口には、お祝いの花が何対も。
会場内には、お祝いの胡蝶蘭が何鉢も。
祝い樽は3つ。15人が槌を力強く振って鏡を開かれました。
花束・記念品贈呈の時には巨大な花束がいくつも贈られ、大小いくつものお祝いの品が贈られました。
喜寿のお祝いのときも盛大だったのですが、今回は、会長が生まれ育ち、事業を通じて地域社会に貢献してこられた愛する地元での開催ということで、改めて、これまでのご苦労が報われ、「今」があるということを地域に示されたような気がします。
会長からの御礼の挨拶の中で、お亡くなりになったご主人(前社長)との結婚当時のエピソードもお話されました。
画家だったご主人は一旦家を出られたらなかなか帰ってこられなかったことや事業を始めたときのこと、そして、昭和52年に急逝され、社長に就任することを決意されたことなど・・・・。
その言葉おひとつおひとつに、すごいご苦労があったことが伝わってきました。
そして、「苦労を語れるのは苦労を乗り越えた人だけだ」ということを感じました。
先日、古希のお祝いをされた会長夫人も今回の会長も、苦労の上に努力をされてきました。
苦労と努力はセットで経験・実践をしないといけないということですね。
facebookには、ちょこちょこ書き込んではいるのですが・・・(^^;
そんなバタバタの1週間でしたが、昨日は、朝から親戚の忌明けの法要があり、家から出た叔父さんの奥さんのことなので、田舎の長男の親元の嫁として、お参りに行きました。
お寺での法要が終わり、伊賀市の山の中にある料理屋さんで食事だったのですが、私は、ある環境・清掃関係の企業の会長さんの傘寿を祝う会の司会のため、途中で失礼させていただき、土山のホテルまで車を飛ばして行きました。
司会のご依頼をいただいた時には、もう法事の予定はあったので、会場に行けるのが本当にギリギリになると言ってはいましたが、開会予定時間の40分前に会場入りという、ホント、冷や汗ものでした。
(最低でも1時間前、普通で1時間半か2時間前には会場入りして、最終の打ち合わせなどをしなくてはいけないのですが・・・特にホテルの場合・・・)
もうひとつ、「セ~~~フ!」だったのが、伊賀から土山まで行くのに新名神を飛ばしていたのですが、もう少しで覆面パトカーを猛スピードで追い抜くところでした。
もしかしたら・・・と、85キロぐらいでゆっくり追い越したのですが、その後もその車はピッタリ私の車についてきて、そして、甲南ICで降りるときも後ろにいて、さあETCを通ろうと思ったら、くるっとUターンして本線に戻っていくのがルームミラーに映りました。
間違いなく、そうでした(^^;
もし、スピード超過で検挙されてたら、傘寿の会の開会に間に合わなかったことでしょう。
前置きが長くなりましたが、傘寿とは、かぞえで80歳のことをいいます。
「八」は末広がりということで、傘もパッと広がるものであり、漢字で書くと「八」の下に「十」があり、「人」という字が入っています。
漢字辞典も見てないし、本当の意味はわかりませんが、「傘」という漢字には、八十年の中に、「人として生を受ける」「大人になる」など、いろいろな意味で「人」となるための過程が含まれているのではないでしょうか?
人生80年、まさに、いろんな人との出会いがあり、ご苦労があり、それを乗り越えられたからこそ今がある・・・ということを教えていただいた傘寿を祝う会でした。
その会長さんの喜寿(77歳)のお祝いの時も司会をさせていただいたのですが、そのときも会長さんのパワーに圧倒され、また、厳しい中にも社員さんや家族への愛情があふれていることに感動しました。
その3年後ということですが、今回はまさに「故郷に錦を飾る」会になったのではないでしょうか。
人として、女性として、母として、実業家として、地域を愛し、家族を愛し、会社を愛し、立派に後継者を育て、「いま」を築いてこられました。
祝う会には、国会議員の先生や市長さん、地元企業の社長さんや会長さんはじめ、元町長さんや日頃お世話になっている方々や会社幹部の皆さん、ご家族、ご親戚、約120名が出席されました。
そして、京都宮川町の芸奴さんや舞妓さんもお祝いにかけつけてくださり、祝舞を披露され、祝宴の間もずっと給仕をしてくださり、本当に華やかでした。
また、スペシャルゲストには、会長のお友達であるオスマンサンコンさんがサプライズでかけつけてくださいました。
会場入口には、お祝いの花が何対も。
会場内には、お祝いの胡蝶蘭が何鉢も。
祝い樽は3つ。15人が槌を力強く振って鏡を開かれました。
花束・記念品贈呈の時には巨大な花束がいくつも贈られ、大小いくつものお祝いの品が贈られました。
喜寿のお祝いのときも盛大だったのですが、今回は、会長が生まれ育ち、事業を通じて地域社会に貢献してこられた愛する地元での開催ということで、改めて、これまでのご苦労が報われ、「今」があるということを地域に示されたような気がします。
会長からの御礼の挨拶の中で、お亡くなりになったご主人(前社長)との結婚当時のエピソードもお話されました。
画家だったご主人は一旦家を出られたらなかなか帰ってこられなかったことや事業を始めたときのこと、そして、昭和52年に急逝され、社長に就任することを決意されたことなど・・・・。
その言葉おひとつおひとつに、すごいご苦労があったことが伝わってきました。
そして、「苦労を語れるのは苦労を乗り越えた人だけだ」ということを感じました。
先日、古希のお祝いをされた会長夫人も今回の会長も、苦労の上に努力をされてきました。
苦労と努力はセットで経験・実践をしないといけないということですね。
夏まつりの司会・バトンタッチ~!
花嫁の手紙より・・・。
ビジネスマッチングフェアの司会と餃子!?
エスペランサ♪トークコンサート ~福祉のつどいにて~
愛ある詐欺師?徳野貞雄氏講演
司会のあるとき~、ないとき~。
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Posted by yoshiko at 23:59│Comments(0)
│司会